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「茶の湯からの発信のはじめに」

 

 

私たちはまさに動乱期の中に生きているのです。人心が混乱しているわけです。動乱の世にこそ、茶の湯を用いるべきです。何物も信じられない世にあって、信じた人間に瞬間でも誠を見ることが出来たらよし、とするのが茶の湯です。茶の湯はおのれの心を糺しながら驕ることなく、今を精一杯に生きることを教えています。茶の湯は人間の心のためのものなのです。本書は茶の湯を語りながら、結局は人の心を綴っていたのでした。現われは説教の口上のように、しつこく同じことを繰り返しているようにとられがちですが、実際は少しずつ観点が違うわけです。茶の湯に対して批判がましく受け取られた箇所もあるかと思いますが、それは批判ではなく、そこを改めなければこれまで積み上げたものが簡単に、崩れてしまうという危惧からの提言なのです。こうした提言は一方では「大きなお世話」という世界でもあるわけです。「私も人の子、好かれたい」という思いがあってためらわれたのですが、老年を迎えて先のないことを実感する時、迷惑を承知しながら駄文を弄したのでした。茶の湯もまた、お茶に関わる一人一人が、心を改め心を組み換えていかなければならない時期を迎えているのです。世の中の仕組みが変わることで、人間の在り方が大きく変化するわけです。当然、茶の湯も変わっていかなければならないのです。今や人間の心は温暖化によって崩壊する氷山のように、跡形もなく溶け出しているのです。

人間が人間である限り、心が全ての原点です。あらゆることは自分の心から出発して、結果は自分の心へと還るのです。その心を整えるために、茶の湯には最高の方法が具備されています。もしも本著の趣旨に賛同してくれる人があって、文中から心を立て直す文句の一片でも拾ってもらえることがあったとしたら、望外の幸せです。

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